中尾佐助を召喚せよ!今こそ見直されるべき“農業の文化的価値”

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現在、農業はビジネス的な観点で語られることがほとんどだ。大規模化・効率化・収益向上・付加価値や効率化や収益性に着目した“工業化した農業”は、産業としては必要なのかもしれないし、投資対象としては魅力的に映るのかもしれない。しかし、農業(=農耕)にはビジネスでは語れない価値がある。それが農業の文化的価値だ。

植物学者 中尾佐助は農業の文化的な重要性を唱えた人物だ。中尾 佐助(なかお さすけ、1916年8月16日 – 1993年11月20日)は、愛知県豊川市出身の植物学者だ。専門は遺伝育種学、栽培植物学で、有名な著書に「栽培植物と農耕の起源」がある。中尾は在学中からアジア各地の植物分布調査を行い、ヒマラヤ山麓から中国西南部を経て西日本に至る「照葉樹林帯」における文化的共通性に着目した「照葉樹林文化論」を提唱した。

著書
『秘境ブータン』(毎日新聞社、1959年)、現代教養文庫、岩波現代文庫(2011年9月)で再刊
『ヒマラヤの花』(毎日新聞社、1964年)
『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書、1966年)
『アジア文化探検』(講談社現代新書、1968年)
『ニジェールからナイルへ 農業起源の旅』(講談社、1969年)
『農業起源をたずねる旅-ニジェールからナイルへ』(岩波書店「同時代ライブラリー」、1993年)
『料理の起源』(日本放送出版協会「NHKブックス」、1972年)
『栽培植物の世界』(中央公論社「自然選書」、1976年)
『現代文明ふたつの源流 照葉樹林文化・硬葉樹林文化』(朝日選書、1978年)
『花と木の文化史』(岩波新書、1986年)
『分類の発想:思考のルールをつくる』(朝日選書、1990年)
参考:wikipedia

中尾佐助という植物学者
中尾佐助の仕事から受ける印象は、一般的な植物学者とは異なる。一般的な植物学者は植物を採取して分類することが主な仕事のようなイメージがある。たとえば近代植物学の権威といわれる牧野富太郎は、50万点もの標本や観察記録を残し、多数の新種を発見し命名も行った。一方で、中尾は従来の植物学的な活動にとどまらず、アジア各地のフィールドワークを行い栽培植物の文化を研究した。牧野富太郎のような植物学者と比べると、植物自体の分類よりも、植物を含めた文化を対象に仕事をしていたように思う。文化人類学者のようにフィールドワークから文化的意義を捉えるような活動をしていたように感じる。
中尾佐助の観点で最も興味深いのは“農業を文化”として捉えていたことだ。代表作「栽培植物と農耕の起源」の序文には、このような序文が書かれている。

文化という外国語のもとは、英語で「カルチャー」、ドイツ語で「クルツール」の訳語である。この語のもとの意味は、いうまでもなく「耕す」ことである。地を耕して作物を育てること、これが文化の原義である。

「栽培植物と農耕の起源」中尾佐助 (岩波新書、1966年)

人類の文化が、農耕段階にはいるとともに、急激に大展開してきたことは、まぎれもない事実である。その事実の重要性をよくよく認識すれば、“カルチャー”という言葉で、“文化”を代表させる態度は賢明といえよう。

「栽培植物と農耕の起源」中尾佐助 (岩波新書、1966年)

このように中尾佐助は、農耕を文化・文明の源として捉えた。さらに自らの研究対象は“種から胃まで”と言うとおり、農耕文化から料理までを広く研究対象として“食べること”の重要性を訴えた。

人類は、戦争のためよりも、宗教儀礼のためよりも、芸術や学術のためよりも、食べるものを生みだす農業のために、いちばん多くの汗を流してきた。現代とても、やはり農業のために流す汗が、全世界的に見れば、もっとも多いであろう。過去数千年間、そして現在もいぜんとして、農業こそは人間の努力の中心的存在である。

「栽培植物と農耕の起源」中尾佐助 (岩波新書、1966年)

中尾佐助が残したメッセージ
残念なことに現在の農業はビジネスとして一元的に語られる事が多い。農業は工業化してしまって、効率や収益性を追い求めるしかなくなってしまった。現在、中尾が探求したように農業を文化として捉えている人はほとんどいない。少なからず取り組んでいる人はいると思うのだが、メディアや農業政策などで農業を文化的に評価しようとする動きは皆無である。だが、これからの農業には文化的な価値を見出す必要があるはずだ。今こそ中尾佐助が残した仕事を引き継ぎ、文化の根源となった農業の文化的価値を見直すべきである。

きむらゆうきち

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